Story of WDB Group

WDBグループの歩み

第1章 -1985年~1995年- 
初めてづくしの創業

創業、姫路で初めての事務処理サービス会社

1985年7月6日、29歳の誕生日を目の前に控えた中野敏光(現 代表取締役社長)は、姫路で初めての事務処理サービス会社「ワークデーターバンク」を創業した。WDBの前身である。創業メンバーは中野とその身内、そして友人。社員4人でのスタートだった。中野が自身のビジネスとして事務処理代行サービスを選んだ理由は、参入障壁の低さだけでなく「姫路で初」という点にもあった。人の一歩先を行こうとする中野らしい。
3人兄弟の次男として生まれた中野は、兄弟の中でも一番やんちゃだったという。自分の欲しいものを、何としてでも手に入れようとするたくましさは、子どものころから備わっているものだった。

神戸~岡山で初めての人材派遣会社に

創業の翌年、労働者派遣法が施行された。2年後、ワークデーターバンクは事務職の人材派遣事業を開始する。今度は、神戸から岡山において初めての人材派遣会社になった。
この頃、後に会社にとってなくてはならない存在となる人物が入社している。大塚美樹(現 専務取締役)だ。きっかけは翻訳業務への応募だったが、新事業への進出を受けて「スタッフ担当」(現在のキャリアコーディネーター)に。派遣社員の採用、企業への人材の紹介に奮闘することになった。
しかし当時、人材派遣の認知度は低く、思うように売上は上がらない。連日、地を這うような営業活動を続けるも経営は厳しく、中野がタダ働きとなる月も珍しくなかった。

「業界の常識には染まらない」人を育てる人材会社へ

参入から1年もすると、世間で人材派遣が注目され始める。
事業は軌道に乗り、登録スタッフも増えた。すると今度は、得意先からクレームが入るようになった。事前に「できる」と言っていた仕事が実際にはできない、社会人としての常識に欠ける等、得意先が求める人材と派遣スタッフの間にあるギャップが原因だった。
「そういうこともある、人だから仕方がない」と、「ミスマッチ」の一言で片付けるのが当たり前だった業界で、中野と大塚がその常識に染まることはなかった。人を育てることの大切さを痛感した大塚は、派遣スタッフを集めて週に一度の研修を始めた。働くとはどういうことなのかを伝え、社会人としての常識やビジネスマナーを指導し、責任を持ってスタッフを派遣する。
これが「お客様に仕事の成果を保証する」ための取組みの原点となり、現在の教育研修制度へと発展した。独自の研修プログラムの徹底は、スタッフの成長と得意先からの信頼につながり、人材派遣会社としての成長を支えることになる。