Story of WDB Group

WDBグループの歩み

第4章 -2006年~2008年- 
喜びと誇り、そして責任 株式上場

ジャスダックへの上場「新たな決意を胸に」

2006年3月、WDBはジャスダック市場に株式上場を果たす。上場通知書の交付、記念品の授与、鳴り響く鐘の音。上場を記念したパーティーが盛大に行われ、その喜びを全員で分かち合った。
上場するということは、社会的責任が増すこと、市場の中でいち商品として見られることを意味する。社会から必要とされる会社であり続けるため、さらなる躍進を実現させるため、中野は自分たちがやるべきことを見つめ直した。その答えは、すぐに見つかった。
「お客様には仕事の成果を スタッフには働く喜びを」
今まで大事にしてきたこの想いを、これからも大事にすればいい。そう決意を新たにしたとき、こんな速報が入った。
「株の売買が成立しました!初値175万円です!」
未来への意欲がみなぎった瞬間であった。

「当たり前のことを当たり前に」東証二部上場

2008年3月、東証二部に上場。東証二部上場の話が議論され始めたのは、2007年1月。そこから1年と数カ月、ジャスダック上場から2年という短さだった。
当時、偽装派遣や偽装請負等が社会的にクローズアップされている時期だった。
だが、WDBは「業界の常識ではなく、社会の良識に従う」という確固たる理念を貫き続けた。当たり前のことを当たり前に行う。そのために定めた制度や手順を100%やり抜き、お客様とスタッフの期待に応え続ける。
ジャスダック上場から2年という短さで東証二部上場を果たした背景には、決して揺らぐことのない想いがあった。

派遣スタッフの仕事をつくる会社

リーマンショックが起きたのは、「WDBエウレカ」(現 WDB株式会社エウレカ社)の出口戦略が成果を見せ始めた頃だった。世間では「派遣」が悪者扱いされ、WDBの社員たちにも「自分たちがしてきたことは間違っていたのか」と動揺が広がった。
そのときに中野が下した決断は「派遣スタッフの雇用の場を自分たちで提供する」、つまり、派遣スタッフが活躍できる事業会社をグループ内に持つというものだった。中野は、以前からこのアイデアを温めていた。WDBには多くの優秀な人材が在籍している。彼らの力を活かして、新しい事業領域で競争力を発揮できるのではないかと考えていたのだ。
中野の行動は早かった。リーマンショック発生のその年、2008年に受託合成事業の会社を子会社化。WDBグループの事業会社第1号が誕生した。